結果を捨てろ
僕の愛読する『バガヴァッド・ギータ―』に次の言葉ある。
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。
昔の僕は“結果”を追い求めて苦しんでいたと思う。
何かをするのは何かのためだ、とずっと思ってきた。
だから努力の代償として得られるはずのものが得られないことに不満をもった。
お金とか肩書とか実績とか恋人とかそういうものを得られない自分を常に責めていた。
他人が持っているものを、自分は持っていないということに劣等感を募らせ、自信も失っていった。
だがギータ―の中でクリシュナは何度もこう繰り返す。
「行為の結果を放擲せよ」と。
そうだ。
結果なんてものは誰かにくれてやればいいのだ。
そもそも行為の結果が何をもたらしてくれるか、というは誰も全く分からない。
どんなに努力しても失敗するのだ。
大事なのは“今日何を成したか”だ。
その日その日の行為そのものに集中して生きればいいのだ。
こういう主張は多いし、僕も何度もこう思ってきた。
しかし効果を期待してやると、必ず挫折がくる。
得られない不満で自分を苛むからだ。
まずはオナ禁効果を捨てることから始めなければならない。
効果は得られなくたっていい。
得られれば幸運だなのだ。
ただやりたいからやる。
そういう気持ちで僕はオナ禁を続ける。